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日本バブル経済 ~その3~


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バブル時代にすごかったのは株だけではありませんでした!

企業は設備投資を積極的に行っていましたが、その資金は銀行の長期融資に依存せず、エクイティファイナンスでまかなっていたため、金融機関の融資は不動産に向かいました。

「土地は必ず値上がりする」「土地の値段は決して下がらない」といういわゆる土地神話に支えられ、転売目的の売買が増加しました。

 

1956年~1986年の間、物価は400%弱しか上昇していないのに、地価は1974年を除いて右肩上がりで、30年の間で50倍になった計算になっていました。

1985年と比較して、1990年には約400%の上昇となりました。

1986~1990年までの5年間で、日本国内の非金融法人企業は年平均142兆円のペース、家計は年平均約25兆円のペースで金融負債を増やしていました。

バブル絶頂期の1990年の非金融法人企業の純負債は636兆円でした。

(2008年12月末には非金融法人企業の純負債は322.9兆円です)1986~1989年に発生したキャピタルゲインは、資産価格の上昇により1452兆円に及びました。

1989年に家計が得た土地・株式のキャピタルゲインは260兆円なりました。

 

不動産価格があまりに右肩上がりなので、いつの間にか日本の銀行は、企業にお金を貸すときに「お仕事の内容やどれだけ儲かっているか?」ではなく、「企業がいくらの不動産を持っているのか?」だけを見るのが普通になっていました。

 

メガバンクと違って、当時規制の緩かったノンバンク(預金を預かっていない銀行)の不動産融資残高も1985年の22兆円だったのが、4年後の1989年末にはなんと約4倍の80兆円に増加しました。

日本中の銀行が不動産購入のために融資をしていました。

 

銀行はそれまで担保不動産の評価額までしか融資はしてきませんでしたが、この時期は不動産評価額の2倍まで融資することもありました。

お金を不動産向けに貸しまくっていた銀行のおかげもあって、1990年には日本の不動産評価額は総額2000兆円を超え、なんと日本の15倍の面積があるアメリカ全体の4倍になっていました。

 

 

1980年代初め、東京の国際都市への期待が高まり、外資系金融機関なども増加し、オフィスが大量に不足すると予想されました。

1980年代半ば以降、銀行は土地神話を信じ土地担保融資を拡大しました。

1980年代の日本は様々な規制等により土地の供給が極端に少なく、人口が増え続けるという見方が強かったため土地バブルが発生しました。

 

1980年代、不動産価格が上がり出すと、大手企業だけではなく、中小企業もみんな不動産投資をするのが当たり前になっていて、銀行も不動産を担保とした融資を特に増やしていき、中小企業の売上経常利益率は大企業を上回っていました。

1985年3月末から1993年3月末にかけて、全国銀行の貸出は251兆円から482兆円へと増加しました。

資産価格高騰は資産保有者に含み益をもたらし、心理的に財布のひもを緩める資産効果によって消費が刺激され、景気の過熱感を高める効果もありました。

また、1986年から日本企業の欧米企業に対するM&Aが進められました。

企業収益の向上と共に個人所得も増加し、消費需要が上昇する乗数効果を生みました。

日本の1人あたりの国民所得はアメリカを抜きました。

 

1986年の都心の地価の上昇は7割に達していて、全国的には地価が落ち着いている中で「異常値」を示していました。

大都市等の優良な土地の高騰にとどまらず、収益の見込めない北海道や沖縄などの遠隔地の土地もリゾート開発を名目に相当の値段で取引されました。

こうして得た土地を担保に、巨額の融資が行われました。

インカムゲイン(土地の有効活用による収益)ではなくキャピタルゲイン(将来地価が上昇することで得られるだろうと見込まれる値上がり益)を目的とすることが多かったのです。

 

バブルピーク時、なんと「東京の皇居の敷地」だけで「カリフォルニア州やカナダ全体の不動産」より評価額が高いと推定されていました。

地価が上がっていることと、東京のオフィスビルの空室率が低かったこともあって、都心部や地方都市でビル建設ラッシュが起こりました。

 

内閣府の国民経済計算によると日本の土地資産は、バブル末期の1990年末をピークに、約2456兆円となったと推定されています。

日本全体の土地の価格総額は、1990年末時点で1985年末の2.4倍となりました。

 

東京圏では1987年と1988年の住宅地の価格はそれぞれ22%、69%上昇し、商業地の価格はそれぞれ48%、61%上昇しました。

大阪圏では1989年と1990年の住宅地の価格はそれぞれ33%、56%上昇し、商業地の価格は1988~1990年で30~40%上昇しました。

 

第二次世界大戦後、1990年代初めにバブルが崩壊するまで、地価は永遠に上がり続けるという「土地神話」が信じられていました。

戦後一貫してオイルショックの一時期を除き、バブル崩壊まで地価は下がりませんでした。

それに追随したのが当時のテレビを含むマスコミであり、土地神話による地価の高騰が永遠に続くものであるかのような宣伝を繰り返していました。

 

この頃には株を売買する判断は「企業が持つお金を儲ける力」ではなく、「企業が持つ不動産」に関心が集まり、保有する不動産を手掛かりに売買されていました。

1988年には、企業の持つ不動産の含み益が日本全体で430兆円に達していると推定されていました。

東京電力の株は、広大な土地や不動産を保有していたことに注目され、1986年の「東京電力1社の時価総額の増加」が、「香港証券取引所に上場する全企業の時価総額」を上回るくらい人気でした。

 

同じように、保有する不動産の含み益が莫大なことで有名だった航空会社の全日空の株は一時、株価収益率1200倍(一年間の利益の1200倍の株価)近くまで買われていました。

この頃、大手企業から中小企業まで保有する不動産のうち3/4近くが、事業とは関係なしに、単純に値上がり益のために保有されていたと言われていました。

また、企業に留まらず、土地を担保に大金を借り入れた中小企業オーナーや個人、マイホーム資金を貯蓄していた個人の中からも、日本国外の不動産に投資を行う者が出てきました。

1986年秋に売り出された東京新宿区の再開発住宅「西戸山タワーホームズ」はマンションブームに火をつけました。

1987年4月に売り出された東京江東区のマンション「スカイシティ南砂」は259戸の分譲に対し、38500人が応募しました。

また、リクルート社の銀座日軽金ビル購入の不動産取引成功が大々的に報道され、その後の不動産取引が活発化しました。

地価の上昇でも、国鉄清算事業団の未利用地販売に際しては「地価の高騰を煽る」として売却が凍結されて、逆に土地の飢餓感が煽られて地価の上昇を招きました。

 

土地を担保として融資を行うに際しては、通常は評価額の70%を目安に融資を行いますが、将来の土地の値上がりを見越して過大に貸し付けることも珍しくなりました。

破綻した北海道拓殖銀行では120%を融資した事例もあります。

単一の物件に複数の担保をつけることも行われました。

背景には、金融機関の貸出競争が激化する中、潤沢な資金をとにかく運用する、貸付に回す、という金融機関の姿勢もありましたが、この融資の一部は後の地価下落(担保価値が低下)によって不良債権となりました。

 

地価上昇は、地価の高い都心の戸建て住宅や高級マンションだけでなく、都市近郊にさえ戸建住宅を取得することを困難になりました。

日本のような戸建主義的な都市構造では、いずれは戸建住宅を取得することが人生の夢・目標の一つであるとされ、それを動機として貯金に励むことも行われていました。

しかし、過度の地価上昇をみて、これ以上値上がりする前に一刻も早く住宅を取得するべきだと考える人も増え、地価上昇に拍車をかけ、東京圏のマンション価格はサラリーマンの平均年収の8.9倍に達しました。

あまりにも住宅が高騰して、平均的な収入では最早購入するのが不可能な域に達すると、二世代ローンという本人の資力で支払きれないところを、その子の資力をもって補うものまで登場しました。

 

サラリーマンのマイホームの夢が遠のく一方で、相続税の負担が急激に重くなっていました。

特に、長年のローンを組んで余裕が無い状況で相続が発生すると、支払うべき相続税を用意することができずに困窮することもありました。

これに対応するために、親類縁者の若者を養子にして一人当たりの相続額を下げて相続税を節約する手法が採られたり、変額保険を利用する節税手法が利用されました。

しかし、バブル崩壊後は資産運用の計画が狂い、窮地に追い込まれる契約者もありました。

 

バブル時代には地価上昇を前提とした住宅取得のモデルも提示されました。

若いうちに小さいながらもマンションを取得し、それを下取りに出して順次条件の良いマンションに買い換えれば、最終的には望む戸建ての住宅を手に入れられるとされ、「住宅すごろく」とも言われていました。

単に貯蓄をしていては住宅高騰に決して追いつけないが、マンションを資産として購入しておけば価格上昇が見込めて有利である、と説かれていました。

しかし、バブル崩壊後は物件を見極める目も厳しくなり、単にマンションであることでは資産価値を認められなくなりました。

事実上資産価値の無くなった都市近郊のマンションに対する多額の支払いが残り、負債を抱えて身動きが取れないケースもあります。

 

また、あまりにも高騰した住宅の取得を早々に諦め、「あきらめリッチ」と呼ばれ、収入を貯蓄することなく、高級車など耐久消費財の購入や海外旅行に充てる刹那的な動きもありました。

これは、さらなる消費の過熱と貯蓄率の低下に繋がりました。

地価高騰を見て賃貸住宅の家賃も高騰し、結局都心から離れた土地へ移転を迫られ、通勤時間が長くなるという状況も生まれました。

これら地価高騰と住宅問題は当時の日本政府の懸念事項であり、後の地価抑制政策に繋がり、信用構造を圧迫することになりました。

 

バブル時代は豪華な1億円以上する分譲マンション通称「億ション」が流行っていました。

三井、三菱と言った大手不動産会社もこぞって高級マンションを企画し販売するようになり、これが億ションブームと呼ばれるようになりました。

有名なのが、チバリーヒルズという超豪華な分譲住宅です。

千葉県千葉市で「ビバリーヒルズ並の高級住宅街を日本にも」というコンセプトで、「ワンハンドレッドヒルズ」が開発と分譲販売されました。

 

東京駅から電車で1時間半というちょっと不便な立地にもかかわらず、600坪の敷地にベッドルーム5つ、テニスコート、プール付きが7億~10億円で販売し、すぐ9戸が即完売しました。

当時あまりの豪華さから、チバリーヒルズと呼ばれ、連日マスコミによる取材も多く「家の見学お断り」という看板が立つほど話題になっていました。

ただ、バブルが弾けると一軒一軒売りに出されるようになって、最終的に誰も住む人がいなくなって、ゴーストタウンと呼ばれる状態になってしまいました。

・・・さらに暴走族が出入りして暴れるという事態になったため、住民以外の車両が立入禁止になってしまいました。

 

東京都港区にある「ドムス高輪」というマンションは、17億9500万円という値段で分譲されて当時話題になりました。

またバブル時代は、東京近郊に限らず、地方都市の地価も高騰したので、億を超える高級分譲マンションの開発、販売も活発化しました。

 

1988年くらいから、公園に使うために地域に自分の土地を提供していた地主さん達から、「土地を返してくれ」と返還要求がいっぱい起きました。

というのも地価があまりに上がったので、一儲けしようとみんなそれを売ったり、建物を建てたりしようとしました。

 

特に値上がりの激しかった東京都の多摩地区で多かったのです。

あと、持っている土地の評価額が上がりすぎて相続税が巨額になることを恐れて、地主は公園を返してもらって「農地」に登記変更、評価額を下げて相続税を下げようと努力をしていました。

そんなこんなで、バブル時代に96個の公共の公園や広場がなくなってしまいました。

 

バブル当時、あまりに不動産価格が上がっていたので、地主さんたちは自分たちの不動産を売ったり、建物を建て替えてもっと高く売ろうとしようとしていました。

ただそこに住んでいる人たちがいると、なかなか建物を作り直したり、建て替えるのが難しかったのです。

そこで活躍していたのが「地主さんたちの代わりに、家を借りている人たちと交渉して土地を買収する人や企業、通称「地上げ屋」」と呼ばれる職業の人達でした。

実際は、住んでいる人に出ていってもらうが仕事みたいなものでした。

当時怖いヤクザの人達も関わったりして、今でもあんまりいいイメージはないみたいでした。

 

朝昼晩に電話をかけ続ける

一日中騒音を起こし続ける

動物の死骸を送りつける

 

という嫌がらせをして住民に出ていってもらうのが良くあったのです。

世田谷で立ち退きをさせるためと思われる放火事件まで起きて、色々大変だったみたいです。

1988年に都内のお弁当屋さんが襲われ、弁当屋の店舗もめちゃくちゃに破壊されるという事件が起きました。

調べてみると、これは建物のオーナーがビルを建て替えてお金を儲けるために、お弁当屋さんの店主に立ち退きを迫ったけど断られた・・・それで600万円で怖い人達を雇って、無理やり立ち退きさせようとしてみたいです。

この事件のように、「地上げ屋さんに土地を売って、地上げ屋さんが嫌がらせをするだけではなく、土地を売ってお金を儲けるために、大家自身による強引な立ち退き」も良くありました。

 

また、借地借家法によって借主の権利が保護されていたため、土地をまとめて大規模開発をするプロジェクトは必然的に推進が困難となりました。

そのため、大都市周辺の土地取得のため、大手不動産会社を代表にしたり、依頼を受けた地上げ屋の強引な手口による「地上げ」が行われるようになり、社会問題となりました。

 

銀行は「地上げ」に巻き込まれるのを嫌い、リスクの高い物件に自ら直接融資をせず系列ノンバンクに融資させようとしました。

しかし、計画を完遂できないままにプロジェクトが中止されるケースも多数生じ、バブル崩壊後には往々虫食い状態の利用しにくい空き地が残されることになりました。

これらの空き地は「バブルの爪あと」などとも呼ばれています。

 

道路用地の取得価格も高騰し、新東名高速道路などの建設に要する資金の増大を招いて、日本道路公団の経営圧迫の一因ともなりました。

高価な土地が障害となって、地方公共団体の公共事業が進められなくなる事態も生じました。

潤沢な資金を背景に大都市の再開発の動きが活発になりました。

都心の優良地区には、地権が細分化された上に借地借家が多数混在し、権利関係が複雑に絡んでいるケースがありました。


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