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日本バブル経済 ~その2~


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財テクブーム

企業は、特金でもっと儲けようと考えました。

それでこの「絶対儲かると証券会社から保証された利回り保証付きの特金」に投資するためのお金を、複雑な金融商品を使って海外の投資家から集めていました。

それが「ワラント債」と呼ばれる金融商品です。1981年、日本政府は日本企業にワラント債と呼ばれる、「社債に株式ワラントをつけたもの」を海外市場で発行することを許可しました。

それ以来、企業は密かにこの仕組みを使った財テクで利益を上げ続けていました。

 

ワラント債というのは、「企業がお金を借りたという借用証書(債権)」に、ある一定期間の間、債券を発行した企業の新しい株を「あらかじめ約束した価格で買う権利」のついた証券のことです。

すごく雑に言ってしまうと、ワラント債でお金を借りると、普通にお金を借りるよりも金利が低くてお得で、株価が上がれば上がるほど、少ない金利でお金を借りることのできるという意味です。

日本株はそのころ急激に値上がりしていて、企業はワラント債を超低金利で発行してお金を借りることができるようになっていました。

 

実は日本企業がワラント債発行に夢中になっていた理由がもう一つあります。

日本企業は、外国からお金を借りる時に「円をそのまま借りるのではなく、ドルなどの外国のお金で借りた後に円に両替して特金に投資」していました。

その頃円は大人気で、しばらくは上昇すると思われていたので、ワラント債を発行して海外からお金を借りた企業は、為替市場でドルなどの外貨→円に両替する時に得をすることで、実質お金を借りたのに儲かっているという不思議な状態*でした。

 

※専門的な話をすると、ワラント債権の多くはドル建てて発行され、スワップ市場で円に換える方法が取られていました。

 

こんな異常な状況の中、日本の企業はこぞってワラント債を発行し、海外の投資家から借りた資金を直接株式市場に投資したり、当時8%の利回り保証のついた証券会社が提供する「営業特金」で運用していました。

 

日本株が上がるとワラント債の価格が上がる

→企業の利益が上増しされる

→さらに借りることのできる資金が増える&利息も低金利に

→さらに借りたお金を株式市場に投資することでさらに株価が上昇

→日本企業の利益が増える&ワラント債が値上がりして、財テク利益がさらに増加

 

・・・・以下エンドレスループ

 

という循環で、「企業はいくらでもお金を借りて株を買えるし、株価はいくらでも上がる」というスパイラル状態になっていきました。

 

財テクは、日本企業にとって絶対負けないマネーゲームになっていました。

こんな状態になったので、日本企業のワラント債は海外投資家からも大人気になりました。

 

トヨタ自動車は1986年、財テクのために総額2000億円の転換社債*を発行、お金を借りる利息は2%以下。

さらに翌年には総額1兆7000億円の資金を運用して、1500億円の利益を財テクで儲けていました。

 

*転換社債とは「債権をあらかじめ決めた比率で途中で株に交換できる」という特殊な債権の事です。

 

例えば、100万円分の転換社債を買って、株への交換価格が1万円と決められていた場合、好きな時に転換債権を100株と交換できます。

株価が2万円に上がっていれば、すぐに債権を100株と交換してそのまま売れば、200万円で売って100万円儲かる事になります。

逆に株価が5000円に値下がりしていれば、そのまま株とは交換せずに債権として持ち続けて企業から利息をもらうこともできるというちょっと特殊なお金の借り方です。

 

バブルが弾ける少し前の1990年、阪和興業という上場企業は株式投資で200億円の損失を出して話題になりましたが、この時点で阪和興業はこういった財テクを利用して、自分たちの持つお金の12倍もの借金をしていました。

 

日本企業が財テクによって調達した資金は、株や不動産投資以外にも設備投資にも使われて、「世界史上最大の設備投資ブーム」と呼ばれるほどになって、景気もすごく良かったのです。

海外からお金を借りて株を買って、さらに株価が上がって儲かり、みんなが儲かって幸せいっぱいだったので、みんなお金を使うようになっていきました。

なので、プラザ合意から始まった円高で、海外で物が売れなくなっても、日本企業はそんなに気にすることなく乗り切ることができていました。


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